眼がスクリーンになるとき ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』

福尾匠/著

発売日:2018年7月

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ISBN
978-4-8459-1704-4
著者情報
福尾 匠(フクオ タクミ)
1992年生まれ。横浜国立大学博士後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)。現代フランス哲学、芸術学、映像論

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商品説明

映画とは何かを考え抜いたジル・ドゥルーズの伝説的著作『シネマ』が、本書によって、ついにわかる。「たんに見る」ことの創造性をめぐる、『シネマ』入門。新鋭による衝撃のデビュー作!

ついに、『シネマ』がわかる!
思想界に颯爽と現れた26歳の新鋭、衝撃のデビュー作!
「たんに見る」ことの難しさと創造性をめぐって書かれた画期的なドゥルーズ『シネマ』入門。
本書は、「見る」ことと「読む」ことの復権を同時に実現する。
20世紀最大の哲学者、ジル・ドゥルーズが著した芸術と哲学をめぐる二巻本『シネマ』。

本書は、『シネマ』にとって、映画は哲学の「フッテージ(footage)」、つまり「思考の素材=足場」であると捉えなおすことから議論を開始する。
その映画というフッテージに、もうひとりの重要な哲学者となるアンリ・ベルクソンの哲学が流しこまれる。そのとき映画はイメージ=映像による〈思考〉の実践として立ち現れてくるのだ。

『シネマ』と映画の関係、ドゥルーズとベルクソンの関係というふたつの問いは、哲学にとって「見る」ことと「読む」ことがいかにして概念の創造へと導かれるかということを指し示している。

映画という特殊な経験のシステムから立ちあがる、イメージがそれ以上でもそれ以下でもなく見たままで現れる地平、「眼がスクリーンになるとき」とはどのようなことか。
そのとき観客である私たちはどんな存在へと生成するのか。

また、「私は素朴な観客です」というドゥルーズの言葉どおり、「見たまま」を肯定する態度は、ドゥルーズの哲学の創造性とどのようなつながりがあるのだろうか。

映画から哲学へ、哲学から映画へ、まっすぐに『シネマ』の核心へとスリリングに論じぬく、新鋭のデビュー作 !

目次

第1章 映画と哲学、ベルクソとドゥルーズ(『シネマ』と映画
ベルクソンにおけるイメージと運動 ほか)
第2章 運動イメージ―感覚‐運動的に思考する映画(運動イメージの分化―宇宙の構築
運動イメージの種別化―主観性の物質的アスペクト ほか)
第3章 運動と時間(運動から時間へ?―ランシエールの『シネマ』批判をめぐって
零次性としての知覚イメージ―物の知覚 ほか)
第4章 第一、第二の時間イメージ―視‐聴覚的に思考する映画(結晶イメージの境位―知覚と記憶の同時性
過去の共存と現在の同時性―「脳」と「宇宙」の新しい意味 ほか)
第5章 第三の時間イメージ―ひとつのおなじ結論の三つの異なるバージョン(私に身体を与えてください―瞬間に持続を導入する
偽なるものが力能になるとき―『シネマ』の物語論 ほか)

商品詳細

出版社名
フィルムアート社
対象年齢
一般
フォーマット
単行本

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