人が人を罰するということ 自由と責任の哲学入門
発売日:2023年12月
- ページ数
- 270p
- ISBN
- 978-4-480-07595-6
- 著者情報
- 山口 尚(ヤマグチ ショウ)
1978年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。同大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は形而上学、心の哲学、宗教哲学、自由意志について
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商品説明
人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、“人間として生きること”を根底から問う哲学的探究。
人間は自由意志をもつのか。私たちが互いを責めたり罰することに意味はあるか。刑罰や責任をめぐって〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
ひとを責めることは無意味?
責任は近代社会の虚構にすぎない?
自由意志をめぐる論争に決着をつける。
「人間として生きる」とはどういうことか?
人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
目次
序 責めることと罰すること――自由と責任の哲学へ
I
第一章 刑罰は何のために?――〈応報〉と〈抑止〉
1 なぜ刑罰について考えるのか
2 刑罰とはなんだろうか
3 刑罰の意味をめぐる問い
4 抑止効果
5 応報とは何か――正義のバランス
6 応報と抑止
第二章 身体刑の意味は何か?――〈追放〉の機能
1 抑止と応報にとどまらない刑罰の意味
2 古代中国の身体刑
3 苛酷で残虐な刑罰に何の意味があるのか
4 社会からの排除
5 刑の軽重と追放の体系
6 なぜ刑罰は追放の意味をもつべきなのか
7 現代にも残る追放
第三章 刑罰の意味の多元主義――〈祝祭〉・〈見せもの〉・〈供犠〉・〈訓練〉
1 刑罰が多様な目的を持ちうることの何が重要か
2 祝祭としての刑罰――ミシェル・フーコーはこう考えた
3 見せものとしての刑罰
4 供犠――刑罰の宗教的意味
5 訓練――犯罪者を更生させる権力
6 パノプティコン――隠微な権力のモード
7 刑罰の意味が多様であること
コラム 意味をめぐる問い、正当性をめぐる問い
II
第四章 応報のロジック
1 応報の何が問題なのか
2 犯人とは何か
3 行為・責任・主体
4 責任の条件は何か?
5 責任を疑うロジック
6 それは彼の選んだ行為なのか?
7 応報は不可能か?
第五章 自由否定論
1 神経科学からの問題提起
2 脳の神経活動と意識的意図
3 リベットの実験
4 拒否する自由意志
5 拒否は無意識の原因をもたないのか
6 見せかけの心的因果
7 責任も錯覚の一種になる?
コラム 神経科学と刑事司法
第六章 責任虚構論
1 社会心理学からの責任批判
2 小坂井敏晶『責任という虚構』について
3 ミルグ ほか
商品詳細
- シリーズ名
- ちくま新書 1768
- 出版社名
- 筑摩書房
- サイズ
- 18cm
- 対象年齢
- 一般
- フォーマット
- 新書・選書
注意事項
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