見立てと女語りの日本近代文学 斎藤緑雨と太宰治を読む
発売日:2025年2月
- ページ数
- 335p
- ISBN
- 978-4-86766-077-5
- 著者情報
- 齋藤 樹里(サイトウ ジュリ)
1994年福島県いわき市生まれ。國學院大學文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、國學院大學兼任講師・早稲田大学非常勤講師ほか。日本近現代文学専攻
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商品説明
近代文学を「見立て」という「芝居」的な観点から捉えると何がわかるのか?「芝居」と“近代批評”を接続する。“女性独白体”における「女性」とは何か?性別を二分することの必然性が突き崩されているいま、近代文学のテクストをどう読んでいくのか。
日本の近代文学テクストを「芝居」と「女性」という2つのキーワードを中心に据えて論じる。
主として斎藤緑雨と太宰治という二人の近代文学者に焦点を当て、同時代の言説や同時代の社会文化状況、当時既に成立していた文学や芝居のような先行テクストを足掛かりに、小説テクストの分析を行う。
1つ目のキーワードは「芝居」。その大衆性ゆえに、題材として、引用として、描写の一部として、近代文学のなかで重要な役割を占め続けた。その知識を研究の俎上に載せることで、テクストを今一度読み替える。特に「見立て」という「芝居」的な観点から近代文学を捉えると何がわかるのか?「芝居」と〈近代批評〉を接続する。
2つ目のキーワードは「女性」である。太宰治の「女語り」、いわゆる〈女性独白体〉における「女性」とは何かを考える。性別を二分することの必然性が突き崩されているいま、近代文学のテクストはどう読んでいくとよいのか。
第一章「近代とは何か―明治二十年代と「芝居」―」、第二章「太宰治の「女語り」1―構築される「女性」―」第三章「太宰治の「女語り」2―「芝居」の中の「女性」―」及び附章「コリア語からの視点―翻訳と物語―」の合計14節より成る本書は、解釈を何よりも重視し、物語と向き合った、日本近代文学「芝居」「女性」論である。
目次
序章 近代文学の「芝居」と「女性」―「見立て」と「女語り」の観点から―
一、本研究の二つのキーワードについて
二、本研究の構成について
第一章 近代とは何か―明治二十年代と「芝居」―
第一節 斎藤緑雨「かくれんぼ」論―「芝居」という装置―
一、はじめに―「かくれんぼ」の近代性
二、同時代評/先行研究
三、「かくれんぼ」の時代性
四、「芝居」の引用(=「記臆」)
五、俊雄が準える/準えられる「芝居」
六、「芝居」としての「かくれんぼ」
七、おわりに―「芝居」という装置
第二節 斎藤緑雨「油地獄」論―「女殺」を欠く〈地獄〉―
一、はじめに―「油地獄」の評価
二、『女殺油地獄』の活字化と近松研究会
三、近松研究会の『女殺油地獄』評
四、「引用」される『女殺油地獄』
五、おわりに―欠如する「女殺」
第三節 斎藤緑雨「門三味線」論―常磐津の物語―
一、はじめに―常磐津の物語
二、同時代評/先行研究
三、常磐津という流派
四、常磐津と「門三味線」―章題について
五、常磐津と「門三味線」―稽古曲について
六、おわりに―「門三味線」という音曲
第四節 坪内逍遙「梓神子」論―近代への接続―
一、はじめに―「新文字」としての「梓神子」
二、先行研究
三、接続される前近代と近代
四、曲亭馬琴の怨霊が捉える同時代の批評状況
五、井原西鶴の怨霊が捉える同時代の批評状況
六、近松門左衛門の怨霊らが捉える同時代の批評状況
七、前近代文学と近代文学の接続
八、おわりに―多重化される批評
ほか
商品詳細
- 出版社名
- 文学通信
- サイズ
- 22cm
- フォーマット
- 単行本
注意事項
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